信頼と信用の違い|老舗和菓子店が考える「売る」と「届ける」の差|菓子は、売るものではなく、届けるもの

売れた日と
届いた日は、違います。
売上は同じでも、手応えが違う。
和菓子職人として、その差を感じるたびに思います。
私は、売りたいのか。届けたいのか、と。

売ることと、届けること
菓子を売ることは、お金をいただくことです。
菓子を届けることは、想いを渡すことです。
同じように見えて、違います。
売ることは、取引です。
届けることは、関係です。
和菓子職人として、ずっと考えてきたことがあります。
私は、売りたいのか。
届けたいのか。
答えは、決まっています。
届けたい。
でも、届けるためには、まず売れなければならない。
その矛盾の中で、毎日仕事をしています。
売上がなければ、店は続かない。
店が続かなければ、誰にも届けられない。
だから売ることから逃げるわけにはいかない。
でも、売ることだけを考えていたら、職人ではなくなる。
その緊張感が、ずっとそこにあります。

売れたのに、届いていなかった日
ある日、御菓子がよく売れました。
次々と買われていきました。
でも、何かが違いました。
値段だけを見て選んでいるお客様がいました。
「安いから」という理由で手に取られた和菓子。
贈り物用に包んでほしいと言われましたが、渡す相手の話は一切出てきませんでした。
誰に渡すのか。
その人は何が好きなのか。
そういう言葉が、一言もなかった。
売れました。
でも、届いているのかどうか、わかりませんでした。
その日の売上は、悪くありませんでした。
でも、帰り道、何か空っぽな感じがしました。
売ることと、届けることは、違う。
その日、改めてそう思いました。
和菓子は、渡した瞬間に完成するのではない。
受け取った人の顔に届いた時に、はじめて完成する。
そのことを、売上の数字は教えてくれません。

届いた、と確信した日
別の日のことです。
お客様が和菓子を買って帰りました。
「母に持っていきます」
そう言っていました。
翌日、そのお客様が戻ってきました。
「母が喜んでいました」
それだけを言いに、来てくれました。
その言葉が、胸に届きました。
売れた、ではありません。
届いた、という感覚でした。
お金のやり取りは、昨日終わっています。
でも、本当の意味での取引は、その翌日に完成しました。
和菓子が、誰かの喜びになった。
それを伝えに来てくれた。
それが、届くということです。

もう一つの「届いた」瞬間
言葉のない日もありました。
お客様が和菓子を食べて、何も言わずに帰っていく。
でも、帰り際に、深くお辞儀をしていった。
言葉はありませんでした。
でも、伝わりました。
ショーケース越しに、伝わりました。
あの一礼が、すべてを語っていました。
届いた、と思いました。
言葉よりも、あの一礼の方が、重かった。

信頼と信用の違い
商売をしていると、よく聞かれることがあります。
「信頼と信用は、何が違うのですか」
信頼と信用は、似ていますが違います。
信用は、実績です。
これまでの積み重ねが、信用になります。
信頼は、期待です。
まだ見ぬ未来への、期待です。

和菓子で言えば——
「いつも美味しいから、今回も大丈夫」
これが、信用です。
「この職人なら、きっと喜ばせてくれる」
これが、信頼です。
信用は、過去が積み上げるものです。
信頼は、未来を向いています。
どちらも大切ですが、職人として目指すのは信頼の方です。
信用だけでは、お客様は「また買おう」と思います。
信頼があると、お客様は「あの人に頼みたい」と思います。
その違いが、長く続く店とそうでない店の差になります。
百年以上続いてきた店には、この信頼の積み重ねがあったと思っています。

曾祖父の言葉
曾祖父が残した言葉があります。
「菓子を売る前に、信頼を売れ」
最初にこの言葉を聞いた時、意味がわかりませんでした。
信頼は、売るものではない。
そう思っていました。
でも、今はわかります。
信頼を売る、とは、信頼を届けるということです。
御菓子を渡す前に、この人を信頼していいという気持ちを渡す。
そういう関係を、一つ一つ積み上げていく。
それが、菓子屋の本当の仕事でした。
老舗がなぜ続くのか、と聞かれることがあります。
味だけではありません。
信頼の積み重ねが、店を続けてきた。
曾祖父は、それをわかっていたのだと思います。
和菓子を通じて、人と人の信頼をつなぐ。
それが、この家業の本質でした。

届けるために、売る
「売ると届ける、何が違うのですか」
そう聞かれることがあります。
売ることは、手段です。
届けることが、目的です。
売上を上げることが目的になった瞬間、和菓子は商品になります。
届けることが目的である限り、和菓子は作品であり続けます。
その違いが、お客様に伝わります。
すぐにはわかりません。
でも、時間が経つにつれて、わかってきます。
この店は、売ろうとしているのか。
届けようとしているのか。
お客様は、敏感です。
言葉にはしなくても、感じています。
和菓子を手に取った瞬間の、あの感触。
包みを開けた時の、あの香り。
口に入れた時の、あの表情。
そのすべてが、届いているかどうかの答えです。
数字に出ない場所に、本当の仕事があります。

結び|届いた、という感覚のために
翌日わざわざ来てくれたお客様の言葉。
「母が喜んでいました」
その言葉を思い出すたびに、なぜ菓子をつくるのかが、わかります。
売上のためではありません。
評判のためでもありません。
あの言葉のためです。
あの一礼のためです。
届いた、という感覚のために、今日も御菓子をつくります。
売ることと、届けることの間には、距離があります。
その距離を埋めるのが、職人の仕事です。

和菓子一個に、想いを込める。
受け取った人の顔を思い浮かべながら、つくる。
それだけのことが、信頼になります。
信頼が、信用になります。
信用が、百年を超えた店をつくります。
曾祖父の「菓子を売る前に、信頼を売れ」という言葉が、今日も手を動かしています。

次回予告|受け継ぐということ|四代目として、次に渡すもの
受け継いだものがあります。
次に渡すものがあります。
四代目として、その意味を考えます。
次回は、その話を書きます。

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