続けようと、決めたことはありません。
辞めようと、思ったこともありません。
ただ、続いていました。
百年という時間
百年以上前に始まった店が、今も続いています。
四代にわたって、続いています。
よく聞かれます。
「なぜ、続けられたのですか」
その問いに、毎回少し困ります。
理由を考えたことが、なかったからです。
続けることが、当たり前でした。
辞めるという選択肢が、頭の中にありませんでした。
百年という時間を、長いと思ったことはありません。
一日一日の積み重ねが、気づけば百年になっていた。
そういう感覚です。
特別なことは、何もしていません。
ただ、続けてきただけです。
辞める気が、しなかった
先代が逝き、私が店を継いだ時。
不安はありました。
でも、辞めようとは思いませんでした。
経営が苦しい時期もありました。
赤字が続いた季節もありました。
それでも、辞めようとは思いませんでした。
なぜか。
今でも、うまく説明できません。
ただ、辞める気がしなかった。
それだけです。
続けることが、空気のように自然でした。
水が低いところへ流れるように、私は続けることへ向かっていた。
それが、私にとっての「続ける」でした。
継ぐ、ということ
四代目として生まれた時から、この店がありました。
物心ついた頃には、菓子の香りの中にいた。
先代が働く姿を見て育ちました。
その背中が、私の「当たり前」をつくりました。
「継ぐ」という意識すら、なかったかもしれません。
そこにあるから、続ける。
それだけのことでした。
継ぐことを強いられた記憶はありません。
「おまえが継げ」と言われた記憶も、ありません。
ただ、気づいたら継いでいた。
それが、正直なところです。
押しつけられたのではなく、自然にそうなった。
その自然さが、続く力になっていたのかもしれません。
店舗をなくす決断
ある時、店舗をなくすことにしました。
長年、お客様と向き合ってきた場所です。
甘味処も、和菓子店も、その場所にありました。
手放すのは、簡単ではありませんでした。
常連さんのことが、頭をよぎりました。
あの顔が、浮かびました。
申し訳ない気持ちもありました。
でも、迷いませんでした。
店舗がなくなっても、会社は残る。
卸業として、菓子をつくり続けることができる。
形は変わっても、続けることはできる。
「続ける」ことと「店舗を守る」ことは、別のことでした。
大切なのは、菓子をつくり続けること。
その軸だけは、ぶれませんでした。
その判断が、今の会社を残しました。
形が変わっても、続く
店舗がなくなった時、寂しさはありました。
あのショーケースが消えた。
あの甘味処が消えた。
お客様と向き合っていた、あの場所が消えた。
常連さんが来た時、店がない。
その申し訳なさは、今でも残っています。
でも、菓子はつくり続けています。
会社は残っています。
卸先のお客様に、菓子が届いています。
形は変わりました。
でも、続いています。
店舗という形にこだわっていたら、続けられなかったかもしれない。
形を変えることで、続けることができた。
それが、今の答えです。
続けることと、形を守ることは、別のことでした。
続けることの意味
なぜ続けるのか。
その問いを、改めて考えます。
先代のために続けているのか。
お客様のために続けているのか。
家業だから続けているのか。
続けることが、自分の生き方だから続けている。
辞めることを想像できない。
それが、続く理由です。
苦しい時も、ありました。
このまま続けていいのか、と思う夜も、ありました。
でも、辞めるという答えには、たどり着かなかった。
曾祖父から続く、三つの柱
曾祖父が残した言葉があります。
「三つの柱を持て」
一つに頼らない。
複数の収益の柱で、店を守る。
その教えが、今も会社の骨格になっています。
不動産、防犯カメラ、そして菓子。
形は変わりましたが、三つの柱という考え方は変わっていません。
この教えがあったから、店舗をなくしても続けられた。
菓子だけに頼っていたら、もっと早く倒れていたかもしれない。
曾祖父は、百年後の会社のことを考えていたのでしょうか。
それはわかりません。
でも、その知恵が、今も会社を支えています。
百年前の言葉が、今も生きている。
それが、続くということの、もう一つの意味だと思います。
四代目として、思うこと
私は四代目です。
四代にわたって続いてきたということは、四人の人間が続けてきたということです。
曾祖父が始めた。
祖父が続けた。
父が続けた。
私が続けている。
それぞれが、それぞれの時代に、続けることを選んだ。
選んだというより、続けることが当たり前だったのかもしれません。
曾祖父の時代は、戦争がありました。
祖父の時代は、高度成長がありました。
父の時代は、バブルがあり、その崩壊がありました。
私の時代は、コロナがありました。
どの時代にも、やめる理由は、いくらでもあった。
でも、誰もやめなかった。
その「当たり前」が積み重なって、百年になりました。
次の百年へ
百年続いた店が、次の百年を続けるかどうか。
それは、わかりません。
時代は変わります。
お客様も、変わります。
菓子の形も、変わるかもしれない。
でも、続けようとする気持ちは、変わらない。
今日続けることはできます。
明日続けることもできます。
その積み重ねの先に、次の百年があるかもしれない。
曾祖父がこの店を始めた時、百年後を想像したかどうか。
おそらく、していなかったと思います。
ただ、今日続けることを選んだ。
その選択が、百年になりました。
私も同じです。
百年後は、わからない。
でも、今日続けることは、できます。
結び|続けることが、答えだった
なぜ続いたのか。
その問いに、今はこう答えます。
辞める気がしなかったから、続いた。
続けることが当たり前だったから、続いた。
難しい理由は、ありません。
その「当たり前」の積み重ねが、百年になりました。
次回予告|廃番にした菓子|やめる決断と、残す決断
長年つくってきた菓子を、やめることがあります。
やめる理由と、残す理由。
次回は、その話を書きます。
続けること|老舗が100年続く理由|辞める気が、しなかった
