固まっていない
型から出した瞬間、わかりました。
その日の羊羹は、使えませんでした。
羊羹という菓子
羊羹は、時間の菓子です。
艶のある、黒に近い深い色。
でも、その一本をつくるまでに、いくつもの判断があります。
一つでも外れると、羊羹にならない。
小豆を炊く
羊羹の仕事は、小豆を炊くことから始まります。
小豆の炊き加減が、羊羹の味を決めます。
炊きすぎると、風味が飛びます。
足りないと、餡がまとまらない。
ちょうどいい状態は、小豆が語りかけてくれます。
でも、最初はその声が聞こえなかった。
炊きすぎた日
ある日、炊きすぎました。
鍋を開けた瞬間、香りが違いました。
小豆の豊かな香りではなく、くたびれた香り。
やり直しです。
時間も材料も、無駄になりました。
小豆は、正直な素材です。
丁寧に向き合えば、応えてくれる。
急げば、裏切られる。
それが、羊羹の最初の関門です。
寒天を溶かす
小豆を炊いたら、寒天を溶かします。
寒天は、羊羹の骨格をつくります。
水に浸して、火にかけて、完全に溶かす。
溶け残りがあると、固まり方にムラが出ます。
寒天の量が、羊羹の硬さを決めます。
多すぎると、固くなりすぎる。
少なすぎると、柔らかくなりすぎる。
その加減が、難しい。
季節によって、変わる
気温や湿度によっても、変わります。
夏と冬では、同じ量でも仕上がりが違う。
だから、毎回同じようにはできない。
固まらなかった日
ある日、型から出した瞬間、わかりました。
固まっていない。
崩れていきます。
寒天が足りなかった。
その日は、少し控えめにしていました。
「柔らかめの方がいい」
そう思って、量を減らしていた。
でも、減らしすぎました。
羊羹として成立しない。
型に入ったまま、固まるのを待ちました。
でも、待っても固まりきらない。
結局、やり直しになりました。
寒天は、少しの誤差が大きく出ます。
そのことを、体で学んだ日でした。
練り上げる
餡と溶かした寒天を合わせて、練り上げます。
ここが、羊羹の核心です。
火加減と、練り方。
その両方が揃って、はじめて羊羹になります。
弱火でじっくり練ります。
焦がしてはいけない。
でも、火が弱すぎると、水分が飛びきらない。
練りながら、状態を確かめます。
重くなってくる感触。
艶が出てくる瞬間。
その変化を、手と目で読みます。
流し込みのタイミング
練り上がったら、型に流し込みます。
このタイミングが、難しい。
早すぎると、まだ練りが足りない。
遅すぎると、固まりかけてしまう。
ある日、流し込みが遅れました。
少し目を離したすきに、生地が固まりかけていました。
急いで流し込みました。
でも、すでに遅かった。
型に均一に広がらない。
表面に、筋が残りました。
見た目が悪い。
切り口も、きれいではなかった。
羊羹は、流し込む瞬間まで、目を離せません。
その日以来、型の前を離れなくなりました。
固まるのを待つ
流し込んだら、固まるのを待ちます。
この時間が、羊羹らしい時間です。
急いでも、どうにもならない。
ただ、待つしかない。
固まる時間は、季節によって違います。
夏は、時間がかかります。
冬は、早く固まります。
その日の気温を見ながら、時間を判断します。
待ちながら、次の仕事をします。
でも、気になります。
「もう固まったか」
そう思いながら、待ちます。
型から出す瞬間は、いつも緊張します。
切り口に、すべてが出る
固まった羊羹を、型から出します。
包丁を入れます。
切り口に、すべてが出ます。
均一に固まっているか。
気泡がないか。
艶があるか。
その一断面に、工程のすべてが映ります。
きれいな切り口を見た時、思います。
今日は、うまくいった。
その瞬間が、羊羹をつくる喜びです。
一本の中に、時間が流れる
羊羹一本に、どれだけの時間が入っているか。
小豆を炊く時間。
寒天を溶かす時間。
練り上げる時間。
流し込んで、固まるのを待つ時間。
そのすべてが、一本の中に入っています。
食べる時間は、ほんの少しです。
でも、つくる時間は、長い。
その時間の差が、羊羹の値段になっています。
誤魔化しがきかない
時間を惜しんだ羊羹は、切り口に出ます。
時間をかけた羊羹は、切り口に出ます。
誤魔化しがきかない。
それが、羊羹という菓子です。
結び|固まらなかった日のこと
固まらなかったあの日のことを、今も覚えています。
型から出した瞬間の、あの崩れる感触。
情けなかった。
でも、その失敗があったから、今があります。
寒天の量を、体で覚えました。
流し込みのタイミングを、目で覚えました。
小豆の炊き加減を、鼻で覚えました。
今日も、型の前に立ちます。
流し込んで、待ちます。
固まるまでの時間に、昨日の仕事を思い返します。
型から出す瞬間、いつも思います。
今日は、どうか。
その緊張が、なくなる日は来ません。
なくなったら、終わりだと思っています。
次回予告|饅頭|皮と餡の、対話
饅頭は、皮と餡でできています。
どちらが主役か。
どちらが脇役か。
次回は、その話を書きます。
