座り込んでしまいました
立ち上がろうとしても、動けません。
冷や汗が、出ていました。
――これは、まずいな。
そう思いました。
休まないことが、強さだと思っていた。
止まらないことが、前に進むことだと。
けれどその日、気づきました。
自分の体を、壊れるまで使い続けていたことに。
準備なき継承、不安が動かした日々
父を20代で亡くし、私は家業を継ぎました。
準備など、ありませんでした。
覚悟も、足りていなかったと思います。
ただ一つあったのは、強い不安でした。
先代の名を汚したくない。
ここで止まれば、すべてが崩れる。
その思いだけが、私を動かしていました。
休むという選択肢は、ありませんでした。
「これくらい、大丈夫」
「まだやれる」
そう言い聞かせるたびに、
体の小さな異変を、見て見ぬふりをしてきました。
そして、ある日。
体は、はっきりと限界を示しました。
救急車の中で見た景色。
病室の、あの白い天井。
あの光景は、今でも消えません。
妻の言葉
病院のベッドで、妻の顔を見ました。
優しい顔でした。
「大丈夫?」
静かな声でした。
責めることもなく、ただ心配してくれていました。
その優しさが、胸に刺さりました。
怒られた方が、まだ楽だったかもしれません。
娘の顔
娘が、病室に来てくれました。
もう、社会人でした。
仕事帰りだったと思います。
「お父さん、大丈夫?」
そう言いながら、笑顔を見せてくれました。
心配させまいとしているのが、わかりました。
その顔が、忘れられません。
家族が欲しかったもの
私は、家族を守るために働いてきたつもりでした。
けれど、違ったのです。
家族が本当に望んでいたのは、
成果でも、お金でもなかった。
ただ、元気で隣にいること。
それだけでした。
その当たり前のことに、
私は倒れるまで気づけませんでした。
父の背中
父もまた、休まない人でした。
朝から晩まで働き、家業を守り、家族を養う。
その背中を見て、私は育ちました。
働き続けることが、男の生き方だと。
だから私も、同じように生きた。
疑うことなく。
父が倒れた朝
父ががんと診断されたのは、私がまだ20代の頃でした。
それまで、病気とは無縁の人でした。
だから、突然のことでした。
電話を受けて、病院に駆けつけた。
廊下を歩きながら、足が震えていました。
4年弱、闘い続けました。
父の横に立つたびに、思いました。
「もっと休んでほしかった」
「もっと早く、気づいてやれなかったのか」
でも、父に責任はありません。
「休むのは弱い」
「働き続けるのが、男だ」
そういう時代でした。
そして私は、その父の生き方を、なぞるようにして生きてきた。
自分も同じ道を歩んでいたことに気づいたのは、
自分が倒れてからでした。
祖父の言葉
父の話をすると、いつも思い出す人がいます。
祖父です。
祖父は、92歳で他界するまで、現役を貫きました。
餅をつき、鏡餅を仕上げる。
その手つきは、見事でした。
餡を炊けば、プロ中のプロでした。
老いても、手は動いていました。
衰えても、目は菓子を見ていました。
祖父がよく言っていた言葉があります。
「死ぬまで修行中や」
子どもの頃、私はこの言葉を「休まないこと」だと解釈していました。
止まらないこと。
妥協しないこと。
それが、祖父の生き方だと。
四代目として、気づいたこと
でも、今は違う意味に聞こえます。
祖父は、92歳まで続けられた。
父は、続けられなかった。
そして私も、一度倒れた。
その差はどこにあったのか。
祖父は、体の声を聞いていたのだと思います。
長く続けるために、何を守るべきかを知っていた。
「死ぬまで修行中」とは、
休まないことではなく、続けることだったのです。
長く、深く、最後まで。
その意味が、ようやく分かりました。
「今日はここまで」と言う決断
退院してから、考え方は変わりました。
今の私は、無理をしません。
「まだやれる」とは思わない。
代わりにこう言います。
「今日はここまで」
この一言が、自分を守る言葉になりました。
週に一度は、必ず休む。
家族と過ごす時間をつくる。
最初は、罪悪感がありました。
「こんなことをしていていいのか」
そう思ったこともあります。
けれど、家族の笑顔を見て、はっきり分かりました。
守るべきものは、ここにある。
だから働くのだと。
休むことは、逃げではない
休むことは、逃げではありません。
次のために、整えることです。
今日休むから、明日また動ける。
無理を続けて倒れるより、
一度止まった方がいい。
それが、長く続けるということです。
商いは、マラソンです。
短距離走ではない。
体が土台です。
土台が崩れたら、何も立ちません。
体は、一つしかない
倒れて、わかりました。
体は、一つしかない。
仕事は、またできます。
でも、体は取り替えられない。
私は、それを忘れていました。
ずっと、忘れていました。
それだけのことです。
結び|倒れる前に
私は、倒れて学びました。
できれば、倒れる前に知ってほしかった。
だから、書きます。
「今日はここまで」
その一言を、言えるようになってください。
あの白い天井を、見る前に。
それが、あなたと、あなたの大切な人を守ります。
次回予告|季節と和菓子|春を運ぶ「桜餅」の挨拶
春を告げる和菓子、桜餅。
その一つひとつに込められた、季節への敬意と祈り。
次回は、その話を書きます。
休む勇気、働き方と健康について記しました。
