父が亡くなったのは、私がまだ若かった頃のことでした。
病名は癌でした。
日に日に痩せていく体で、それでも父は、最期まで店に立ち続けました。
職人として、生き切るように。
葬儀が終わり、親戚が帰り、店の灯りを落とした夜。
静まり返った店内で、私は、かつて曾祖母が遺した言葉を思い出していました。
「……あんたが、継ぐんか」
幼い頃、何気なく、しかし鋭く投げかけられた問いです。
そのときは答えられなかったその言葉が、父のいなくなった今、重く胸に沈みました。
私は、何も知りませんでした|老舗和菓子屋の四代目になる前の現実
当時の私は、まだ会社員でした。
和菓子のことなど、ほとんど何も知りませんでした。
子どもの頃に店の手伝いはしていました。
しかし、それは「仕事」ではありませんでした。
餡の炊き方も、皮の焼き加減も、仕入れ先も、取引先も。
何ひとつ、身体に染み込んでいなかったのです。
父は、病床で何を思っていたのでしょうか。
私に継がせたかったのか。
それとも、苦労をかけまいと、静かに諦めていたのか。
今となっては、もう聞くことはできません。
覚悟を決めた日|老舗和菓子屋を継ぐと決めた瞬間
葬儀の翌日、私は父の作業場に立ちました。
道具の匂い。
木の台に刻まれた無数の傷。
染みついた甘い香り。
その空気の中で、曾祖母の声が、耳の奥でよみがえりました。
「継ぐなら、覚悟を決めろ」
「中途半端なら、店を畳め」
「この仕事は、甘くない」
姿はなくとも、この店には、代々の教えが確かに残っていました。
私は誰に言うでもなく、父の遺影の前で、心の中でただ一言、答えました。
「継ぎます」
それが、私が四代目として生きる覚悟を決めた瞬間でした。
四代目になってからの現実|事業承継は甘くありませんでした
四代目を継いでからの日々は、正直に言えば地獄でした。
餡を焦がし、皮を割り、納品を間違え、取引先に頭を下げました。
教えてくれる父は、もういません。
失敗を重ねるたび、曾祖母の口癖が頭に浮かびました。
「失敗せんと、覚えんやろ」
冷たいようで、どこか温かい言葉でした。
孤独の中で、私はようやく「職人としての入口」に立たせてもらったのだと思います。
父の背中が教えてくれていたこと
父は寡黙な人でした。
多くを語らず、朝は誰よりも早く店に立ち、夜は誰よりも遅く暖簾を下ろしました。
病に侵されても、その姿勢は一度も崩れませんでした。
私は子どもの頃から、その背中を見て育ちました。
そして今、父が立っていた場所に、私が立っています。
父は、どんな覚悟で、あの痛みに耐えながら、この場所を守っていたのでしょうか。
今なら、少しだけ分かる気がします。
時間が教えてくれた「本当に大切なこと」
四代目を継いで、年月が流れました。
父には、まだ遠く及びません。
曾祖母が守り抜いた境地も、まだ見えていません。
それでも、ひとつだけ、はっきりしてきたことがあります。
この仕事は、技術だけでは成り立ちません。
必要なのは、「心」です。
餡を炊くとき。
皮を焼くとき。
菓子をお客様に手渡すとき。
すべての場面に、職人の心が宿ります。
父はそれを言葉では教えませんでした。
しかし、その生き方そのものが、私への遺産だったのだと思います。
鏡の中の自分に、父の面影を見ることがあります
最近、ふと鏡を見ることがあります。
あるいは、自分の手元を見ることがあります。
もし曾祖母が生きていたら、こう言うでしょうか。
「あんたも、父親に似てきたな」
そう思うと、胸の奥が、少しだけ温かくなります。
老舗和菓子屋の暖簾の重みと、これからの私
この店は、代々続いてきました。
先代が興し、守り、父が継ぎ、そして今、私が立っています。
その重みを、私は毎日、足元で感じています。
父は、私に何を託したかったのでしょうか。
答えは、まだ完全には見えていません。
それでも、私は前に進みます。
病に屈せず、最期まで職人であり続けた父の背中を追いながら。
そして、今の私|経営という形で暖簾を守る
あれから四十年が経ちました。
今の私は、直接餡を炊く立場ではありません。
経営という役割で、この老舗の暖簾を守っています。
しかし、あの日、父の作業場で決めた
「覚悟」と「心」だけは、
一瞬たりとも、手放したことはありません。
次回は、日本酒の話を書きます。
和菓子と日本酒。
古くから続く日本文化の中で育まれてきた、深い縁についてお話しします。
どうぞ、また読んでいただけましたら幸いです。
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