「まだ早くないですか?」という問い
二月の半ば。
まだ空気の冷たい頃。
店頭に桜餅を並べると、よくこう尋ねられます。
「桜は、まだ咲いていませんよね?」
おっしゃる通りです。
開花は、まだひと月ほど先かもしれません。
それでも、この時期に桜餅をお出しします。
なぜか。
それは、和菓子が
季節を告げるものであると教わってきたからです。
季節が来てから作るのではなく、
季節が来る前に、その気配を差し出す。
それが、私たちの役目の一つなのだと思っています。
和菓子は季節の使者
和菓子屋の店頭は、いつも季節より少しだけ先を歩みます。
二月には桜餅。
四月には柏餅。
六月には水無月。
実際の暦より、二週間から一か月ほど早く菓子は姿を現します。
これは気まぐれではなく、
旧暦や二十四節気をよりどころにした、先人からの習いです。
茶の湯の世界では、
「半月先取り」が粋とされると聞きます。
茶席に桜の菓子が出れば、
客人は「ああ、もうすぐ春だ」と感じる。
菓子は、季節の訪れをそっと予告する存在なのです。
曾祖父の言葉
若い頃、私は考えました。
「桜が咲いてから桜餅を出せば、分かりやすいのではないか」
けれど曾祖父は、静かに言いました。
「菓子は、季節を告げるもんや。
後から追いかけるもんやない。」
「咲いてから出すのは報せや。
咲く前に出すから、楽しみが生まれる。」
その言葉で、はっとしました。
和菓子は、季節の記録ではなく、
季節への期待を託すものなのだと。
「走り・旬・名残」という時間の美
日本には、時間を三段階で味わう感覚があります。
走り ― 気配を楽しむ初め。
旬 ― 最も充実した盛り。
名残 ― 去りゆく余韻を惜しむ時。
桜餅でいえば、
二月中旬は走り。
三月下旬は旬。
四月中旬は名残。
この「走り」を大切にする心が、
季節を先取りするという営みにつながっているのだと思います。
なぜ“先取り”が美しいのか
日本人は、完成そのものよりも、
完成へ向かう途中の余白に心を寄せてきました。
満開だけでなく、三分咲きの桜。
真夏よりも、風のやわらぐ頃。
盛りよりも、予感。
和菓子が少し早く季節を差し出すのは、
その「予感」を形にしたいからです。
「もうすぐ、あの季節が来る」
その静かな期待こそが、
四季を楽しむ心の深いところにあるのではないでしょうか。
季節に遅れた経験
かつて、桜餅を出すのが遅れた年がありました。
三月末にようやく並べたその日、
お客様がぽつりとおっしゃいました。
「もう桜も終わりですね」
その一言が胸に残りました。
和菓子は、季節を追いかけてはならない。
ほんの少しでも先に立たなければ、役目を果たせない。
未熟ながら、その失敗から学ばせていただきました。
旧暦と二十四節気をよりどころに
私たちは新暦だけでなく、
旧暦や二十四節気を目安に菓子を考えます。
立春には、春の気配を。
啓蟄には、目覚める生き物の意匠を。
立夏には、涼味への移ろいを。
秋分には、実りを。
冬至には、柚子の香りを。
暦に沿いながら、菓子は静かに姿を変えていきます。
和菓子を見れば、
おおよその季節が感じられる。
それが本来の姿であってほしいと願いながら、
日々、菓子と向き合っています。
結び
和菓子が季節を先取りするのは、
決して商いの都合だけではありません。
それは、季節の訪れを喜びとして待つ心のあらわれ。
走りを尊び、
旬を味わい、
名残を惜しむ。
その姿勢を忘れず、
暦を見つめながら、少し先の季節を菓子に託してまいります。
まだまだ学ぶことばかりではありますが、
自然に恥じぬよう、精進を重ねていきたいと思います。
次回
「和菓子と水|なぜ名水にこだわるのか」
水が菓子の味わいをどのように支えているのか。
その理由を、静かに綴ります。

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